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The Past Can't Heal Us by Lea David

10/27/2022

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戦争や大規模な人権侵害を経験した社会がそれらの負の過去をどのように「記憶」するか、すなわちそうした過去のできごとにどのような意味づけを与えるかという問題は、戦後の平和構築に携わる人びとの間でも大きな関心を集めている。1990年代に勃発したユーゴスラヴィア戦争をめぐっては、ある人物を「英雄」とみなすか「犯罪者」とみなすか、ある作戦を「解放」とみなすか「民族浄化」とみなすかなどといった多くの論点で、未だに国家間・民族間の激しい対立が続いている。ユーゴスラヴィア後継諸国で活動するNGOにも、「過去と向き合う(suočavanje s prošlošću)」という課題に取り組む団体は多い。本書は、そのような活動が所与の前提としているものを批判的に再検討し、「過去と向き合う」ことの「副作用」を警告している。
 著者のLea Davidは、2013年にイスラエルのベングリオン大学で博士号を取得した。その後、ハイファ大学Strochlitzホロコースト研究所やピッツバーグ大学、テルアビブ大学でのポスドクフェローを経て、現在はアイルランドのユニバーシティ・カレッジ・ダブリンの助教である。
 本書は7章立てで構成され、序論である第1章に続く第2章・第3章では、「イデオロギーとしての人権」および「道徳的想起」という本書の鍵となる概念を理論的に説明している。本書の後半では、2つの地域を事例に具体的な検証が行われる。第4章で中東(パレスチナ/イスラエル)、第5章で旧ユーゴスラヴィア(セルビア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア)における「道徳的想起」の制度化が論じられ、第6章では両地域におけるミクロレベルの活動、すなわちNGOによる民族間の対話事業などが検討される。
著者は、人権という概念をイデオロギーとして把握することで、人権の規範の受容について新たな知見を得られると主張する。イデオロギーとしての人権は、他のイデオロギーと同様に、人びとに対する影響力を得るうえで「組織力の制度化」「教義の力の制度化」「ミクロな連帯の醸成」という3つのプロセスを必要とする。だが著者によれば、人権のイデオロギーはそれらのプロセスを支えるインフラが脆弱である。そのことは、人権の理念に基づいた想起の試みが成功せず、かえってナショナリスト的な想起に取り込まれてしまう理由でもあるという。
 「「適切な」記憶は、過去の犯罪に対する道徳的責任を果たすため、ひいては紛争・紛争後の社会に人権の重要性を打ち建てるための不可欠なステップである」という「人権の記憶アジェンダ(Human Rights Memorialization Agenda)」は、今日では国連などの国際機関の活動でも所与の前提とされている。この前提に基づき、西欧発の「道徳的想起(Moral Remembrance)」という同質化された想起が世界的に広がっている。だが、「道徳的想起」は第二次世界大戦後のドイツという固有の歴史的文脈をもつ事例に立脚したものであり、文脈を無視して普遍的に適用できるものではない。著者は、「道徳的想起」は「過去と向き合う」アジェンダ、「犠牲者中心」のアジェンダ、「記憶する義務」のアジェンダという3つの柱から成り立っているとして、それら3つのアジェンダの問題点を批判している。
 Davidは、これらのアジェンダは一般に考えられているほど民族間の和解に寄与しないどころか、逆効果になることもあると警鐘を鳴らす。マクロなレベルでは、「道徳的想起はネーションとエスニシティのカテゴリを強化する」ことになる。また、メゾレベルでは、犠牲者どうしの間で自分の犠牲者性を他者に認めさせるための競争が起こることになり、「新たな社会的不平等を生む」ことになる。また、ミクロなレベルにおいても、「道徳的想起は人々に人権の価値をより理解させるわけではない」という。

 本書は出版直後から学術誌およびメディア上で多くの書評が発表され、好評を博している(*1)。ただし、Davidが主張する「記憶のアジェンダは、概して最良の場合でも効果がなく、最悪の場合には逆効果である」という結論は、この本がとりあげている2つの事例から導くにはあまりにも一般化されすぎており、過剰一般化という点ではDavid自身が本書で批判している「道徳的想起」と同じになってしまっているという批判もある(*2)。
 また、本書で批判的検討の対象となっているNGOの側からも、様々な反応がある。ユーゴスラヴィア後継諸国のNGOのネットワークであるREKOM mreža pomirenja(REKOM和解のネットワーク)からセルビア語の翻訳が出版された(*3)一方で、非暴力行動のためのセンター(Centar za nenasilnu akciju, CNA)の職員からは、CNAの職員にコンタクトせずに報告書という文字資料のみに依拠した調査方法に苦言が呈されたほか、DavidによるCNAの報告書の用い方について、「彼女の理論に沿わないものを無視し、ものごとを文脈から抜き出して別の意味を与えることに何の良心の呵責もないようだ」という非常に厳しい批判が寄せられた (*4)。
​ とはいえ、「過去と向き合う」という世界的に重要度を増しているトピックについて、前提となっている諸概念を理論的に整理・再検討し、それらの問題点を指摘したという点で、本書の意義は大きいだろう。(宇野)

*1 Daniel Levy, “Memory Wounds: Hurting and Healing,” Journal of Political Power, 14 (3), 2021, 546-550; Dejan Jović, “Lea David: The Past Can't Heal Us. The Dangers of Mandating Memory in the Name of Human Rights,” Tragovi, 3 (2), 2020, 309-315. https://hrcak.srce.hr/246560 

*2 Eduardo Burkle, “Review of 'The Past Can't Heal Us: The Dangers of Mandating Memory in the Name of Human Rights' by Lea David,” New Sociological Perspectives, 2 (1), 2022.

*3 Lea David, Prošlost nas ne može izlečiti: Propisano sećanje – opasnosti standardizacije u ime ljudskih prava, Stefan Stojanović (prev.), (Beograd: Rekom mreža pomirenja, 2021).

*4 Ivana Franović, “Response to ‘The Past Can't Heal Us,” Centar za nenasilnu akciju, February 25, 2021. https://nenasilje.org/en/response-to-the-past-cant-heal-us/ CNAの別の職員による批判も参照。 Davorka Turk, “The Rule of Overgeneralisation,” Centar za nenasilnu akciju, May 12, 2021. https://nenasilje.org/en/the-rule-of-overgeneralisation/


[関連文献]

前川一郎(編著)、倉橋耕平・呉座勇一・辻田真佐憲(著)『教養としての歴史問題』東洋経済新報社、2020年。
 本書は、日本社会における歴史認識問題の現状と、蔓延する歴史修正主義へ対抗するための方策について、様々な学問的背景を持つ研究者・著述家が論じている。著者らの問題意識の重点は「歴史学がいかに公共の歴史認識へかかわることができるか」という点にあるが、西欧を中心に進められてきた「過去の克服」の蹉跌を問題視するという点ではDavidの著書と通じるところがあるだろう。とくに前川による2章「植民地主義忘却の世界史」と3章「なぜ“加害”の歴史を問うことは難しいのか」は、英国をはじめとする西欧諸国における、国のトップによる植民地主義時代に関する「謝罪」が実際にはどのような意味を持つのか、それらの謝罪はむしろ植民地主義の法的責任を回避し続ける口実となっているのではないかと鋭く問いかけている。

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