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The Partisan Counter-Archive by Gal Kirn

5/19/2022

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「記憶ブーム」が語られはじめてからおよそ30年が経った。記憶研究の勢いは衰えを見せず、ユーゴスラヴィアおよびその後継諸国の第二次世界大戦や90年代の紛争の記憶を対象とする研究も数多く発表されている。ガル・キルンの手になる本書は、隆盛する記憶研究の潮流の一部であると同時に、それらとは異なる新しいアプローチを採用している。キルンはスロヴェニアのノヴァ・ゴリツァ大学で博士号を取得したのちドレスデン工科大学などでリサーチ・フェローを務め、現在はノヴァ・ゴリツァ大学の客員教授である。
​ 第1章では、本書を通して鍵となる概念が紹介されるとともに、それらの概念を用いることの意義が説明される。キルンは「記憶/国家の本源的蓄積」という用語を用いて、国家によってパルチザン闘争の記憶が後景に追いやられ、歴史修正主義的なナラティヴが台頭してナショナリズムの強化に機能している状況を批判する。キルンはユーゴスラヴィアの歴史についての支配的なナラティヴとして①反全体主義 ②国民的和解 ③ユーゴノスタルジア の3つを挙げ、いずれもユーゴスラヴィアの複雑な過去を単純化していると批判する。このような修正主義的なナラティヴが支配的な現状に対抗するために、「社会主義ユーゴスラヴィアであれポスト社会主義国民国家であれ、支配的な政治体制や秩序には容易に組み入れられない剰余/過剰さ(surplus)」を示すような作品からなる「パルチザンのカウンターアーカイヴ」が必要であると筆者は主張する。
また、本書全体を通じて用いられる最も重要な概念のひとつが、「パルチザン的切断」(Partisan rupture)である。キルンは別の著書で、ルイ・アルチュセールに倣って「現状(status quo)を乗り越え、現存する事態をラディカルに変革するもの」として「切断」を定義している(*1)。キルンはパルチザンが反ファシズム闘争においてユーゴスラヴィアで起こした「切断」の重要性や、その後も与え続けた影響を強調し、本書ではその「パルチザン的切断」の影響をとどめた作品を多く紹介している。
 第2章では、1941年から1945年まで、すなわちユーゴスラヴィアにおける「人民解放戦争」の期間にパルチザンによって制作された芸術作品が分析される。本章で紹介されるさまざまな芸術作品には、民衆や無名の人びとがさまざまな形で関わり、それによって芸術の様式自体も戦前のものとは大きく変化している。また、人民解放闘争の先の「新しい世界」への渇望や、(ときには100万年先の)未来への志向が強く表れている。
  第3章では、1960年代から1970年代のユーゴスラヴィアの映画や革命記念碑が取り上げられる。著者は、ユーゴスラヴィア共産党(のちにユーゴスラヴィア共産主義者同盟)が体制の正統性を主張するために確立した「諸民族の友愛と統一」というマスターナラティヴの枠に収まらない、「パルチザン的剰余」をすくい上げようとする。パルチザン闘争は社会主義期のユーゴスラヴィアの芸術シーンでは重要な主題であり、パルチザン映画の制作はしばしば国家的な支援を受けた。しかしここで著者が分析の対象とするのはやはり、国家によるパルチザン闘争の神話化に抗う作品群である。「革命」という語を「抑圧を取り除き続ける移行期的なプロセス」と定義する著者は、本章で、ユーゴスラヴィアにおいて社会主義体制が成立した後もなお「革命」を志向し続ける作品群をとりあげる。
 一方で、「パルチザンのカウンターアーカイヴを抹消する?ナショナリスト(的な)和解からファシズムの再評価へ」と題された第4章は、これまでの章とはやや毛色が異なる。本章は2019年にラウトリッジ社から刊行された論文集European Memory in Populism に収録された論文がもとになっており(*2)、スロヴェニアにおける「国民的和解」と称される潮流と、EUの記憶政策の一環としてブリュッセルで建設が計画されている「全体主義の犠牲者のためのパン・ヨーロッパ記念碑」が分析される。
 社会主義期のユーゴスラヴィアにおける公式な歴史観はパルチザンを英雄視するものであったが、この歴史観に対する疑義は1980年代ごろから呈され始めていた。ユーゴスラヴィア解体後の後継諸国においては、パルチザンや戦後の共産党政権による戦争犯罪・人権侵害に対する批判が行われると同時に、第二次世界大戦中の枢軸国への協力を矮小化あるいは再評価する動きも台頭した(*3)。著者は、スロヴェニアにおいて「国民的和解」の名のもとに行われてきたファシズムとパルチザン闘争の道徳的相対化が、より公然としたファシズム再評価に結びついていることを指摘する。またキルンは、ファシズムと共産主義という性質の異なるふたつの体制を単純化して同列のものとみなすナラティヴが、EUの公的なナラティヴとしてブリュッセルの記念碑の計画に具現化されていることを厳しく批判する。
 結論では、第1章から第4章までの議論を振り返るとともに、4章で分析されたようなパルチザン闘争とファシズムの道徳的相対化を乗り越え、現状を変革するための「パルチザンのカウンターアーカイヴ」の必要性が改めて主張される。
  本書では、ユーゴスラヴィアにおけるパルチザンの闘争をめぐる支配的なナラティヴに対して再考を促す作品が多岐にわたって紹介される。その意味では、この書籍自体が著者が提唱する「パルチザンのカウンターアーカイヴ」の実践であるといえよう。
 また本書のアプローチは、記憶研究の理論面においても重要である。イタリア出身の歴史家であるエンツォ・トラヴェルソは著書『左翼のメランコリー』で、ピエール・ノラやアライダ・アスマンなどの記憶研究の第一人者が、マルクス主義にほとんど触れてこなかったことを批判する。一方すでに紹介したように、キルンは本書でマルクス主義の理論を応用して「パルチザン闘争の記憶」を新たな切り口から分析している。他方で4章では、1章から3章で用いられていた分析概念がほとんど用いられていない。4章の中心的なテーマである「国民的和解」という概念の問題は、ユーゴスラヴィア後継諸国を対象とした多くの研究が発表されている。また、キルンが批判するようなEUの記憶政策が抱える問題も、つとに指摘されていることである。現状分析の際にもカウンターアーカイヴというアプローチを効果的に用いることができれば、本書の全体的な統一感が増すとともに、現状に新たな光を当てることができたのではないか。(宇野)

*1 Gal Kirn, Partisan Ruptures: Self-Management, Market Reform and the Spectre of Socialist Yugoslavia (London, Pluto Press, 2019).

*2 Gal Kirn, "Anti-Totalitarian Monuments in Ljubljana and Brussels: From Nationalist Reconciliation to the Open Rehabilitation of Fascism." in Chiara De Cesari and Ayhan Kaya, eds., European Memory in Populism: Representations of Self and Other (London: Routledge, 2019).

*3 とくにスロヴェニアにおける第二次世界大戦中の枢軸国に対する協力については以下を参照。Gregor Kranjc, To Walk with the Devil: Slovene Collaboration and Axis Occupation, 1941-1945 (Toronto: University of Toronto Press, 2013).

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[関連文献]

エンツォ・トラヴェルソ(宇京頼三訳)『左翼のメランコリー —隠された伝統の力 19世紀~21世紀』(法政大学出版局、2018年)
Enzo Traverso, Left-wing Melancholia: Marxism, History, and Memory (Columbia University Press, 2016). 
 トラヴェルソは本書で、映画や思想家のテクストなどを題材にとり、「左翼文化のメランコリー的な側面を研究」している(英語版6ページ)。トラヴェルソは本書で「敗北した革命」の記憶をたどっているが、そこには冷戦終結後に「犠牲者の想起が敗者のそれにとってかわ」り(英語版19ページ)、「犠牲者」自身の戦いや敗北が無視されているという問題意識がある。
 なお、本書にはいずれもトラヴェルソ自身の手になるフランス語版、イタリア語版、英語版の3つのバージョンがあるが、日本語の訳書は2016年に出版されたフランス語版を底本にしている。訳者が解説で述べるように、フランス語版と英語版は「章立てからして異なり、原著者トラヴェルソが言うように、確かにそれぞれがまったくのオリジナルである」(日本語版283ページ)が、英語版の序論では1989年以後の中東欧諸国における記憶文化の状況についての記述がより充実している。ユーゴスラヴィア後継諸国に関する記述も増えているので、英語版も参照することで、キルンの本と合わせてより多くの示唆が得られるかもしれない(キルン自身もこの本の英語版を参照している)。


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