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Governing Diasporas in International Relations by Francesco Ragazzi

11/2/2020

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古くから人の移動は、人々の政治空間を再編するきっかけを作ってきた。今日グローバル化する世界における「移民」は様々な角度から共同体の課題として象徴化され、移民・ディアスポラ研究は日々更新され続けている。フランチェスコ・ラガッツィ (*1) の著した本書は、クロアチア系移民の事例を通じて、現代の「ディアスポラ政治」がいかに脱領域的に行われうるのかを論じたものである。
 クロアチアの独立時にディアスポラが果たした役割はよく知られている。体制転換から紛争時まで、国外でのロビー活動や資金援助など、クロアチア系移民による支援が新しいクロアチア政府を支え、そのナショナリズムの急進化に棹をさしたと言われる。「ディアスポラ選挙区」などは、1990年代以降のクロアチア政治において論争を引き起こしてきたテーマでもある。
 ラガッツィは、まず序章で主権を領土に基礎づけるウェストファリア的な国際関係観の限界を指摘し、移民を論じるにあたって、領域性とは異なる政治規範にもとづく統治・政治空間の創出を導くディアスポラ政治に目を向ける必要性を説く。その際、ディアスポラとは実体ではなく、脱領域的な社会領域において、アクターたちの「発話行為」を通じて構成されるカテゴリーとしてとらえられる。
2章ではオーストリア=ハンガリー帝国から社会主義ユーゴの時代まで、出身国によるディアスポラ政策が概観される。特に社会主義時代には、国外住民が「古い移民」、「敵性移民」、「出稼ぎ労働者」という3つのカテゴリーに分けられ、セキュリティの脅威、経済発展の手段として認識されながら、統治・教化する対象とされた。
 3-4章ではクロアチア系移民による政治運動が分析される。WWII後から、「古い移民」の社会主義ユーゴを否定しない層とは別に、民主的なナショナリストと元ウスタシャを含む諸グループによる反ユーゴ運動が展開された。1960年代にユーゴ国境が開放される頃には、国内のナショナリズム運動との接続、「出稼ぎ労働者」の取り込みに加え、テロを辞さない過激派の台頭も生じる。過激派は徐々にディアスポラ政治の中で周縁化されていくが、1980年代末になるとフラニョ・トゥジマンらの運動を後援する立場につく。他方で、体制転換後の紛争時には、「祖国」に対する支援を通じて、移民同士の立場の違いを越えた「クロアチア・ディアスポラ」という共同体イメージが創出されたことが論じられる。
 5-7章では、独立後のクロアチア共和国によるディアスポラ政策が分析対象とされ、帰還政策と統制政策、市民権を通じた国外住民の包摂、クロアチア系住民への支援を通じたボスニア・ヘルツェゴヴィナへの介入が論じられる。ディアスポラ政策は、国外の移民をクロアチア共和国主権者の一部とする眼差しと、潜在的な資源とみなす眼差しが交錯しながら展開された。同時に、国外移民の帰還を促して国内を「クロアチア人」で埋めようとするナショナリズムと、国外に散財する人びとを通じて脱領域的なディアスポラ政治空間を形成し、独立クロアチアの国益を確保しようとするナショナリズムが併存していたことが明らかにされている。
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 ラガッツィの議論の特色は、「ディアスポラ」をめぐる政治の脱領域的な展開による、統治の様式の変容に焦点を当てた点にある。移民をめぐる国家の政策は、国外人口に対する帰還の推進や文化政策を通じた紐帯維持などの規律権力の作用と、出稼ぎ労働者を通じた失業率の調整や外貨獲得など国内経済にかかわる「リベラルな統治性」という側面をもってきた。しかし、福祉国家の衰退以降の時代に前景化する脱領域的な統治に、ラガッツィは「新自由主義的な運動」としての側面を見出す。それは例えば、紛争時のクロアチア系移民による平和運動のように、外交政策の民間委託と言うべき現象にあらわれる。本国は、ディアスポラを担当する専門の省庁を設置し、移民たち自身による自己統治と本国への貢献を引き出すべく働きかける。それによって福祉国家を維持するコストを削減しつつ、国外資源としてのディアスポラが管理される。そしてディアスポラもまた、定住国における社会的・文化的文脈を身につけながらも、脱領域的かつナショナルな忠誠をもって本国とつながる。新自由主義時代の脱領域的な統治とは、グローバルに散在する人びとを、そのつど設定される象徴を通じて集約しつつ統治する、ディアスポラ・ナショナリズムのあらわれなのである。
 一つラガッツィの議論に付言するならば、脱領域性の多様さについてである。例えば、クロアチアの独立宣言が出された時に、クロアチア政府や移民組織によって動員されなかった人びとも存在した。ユーゴ連邦の維持を支持したクロアチア系移民や、セルビア系移民ら他のスラヴ系移民との分断を受け入れなかった移民は、ユーゴの解体と同時にクロアチア政府の脱領域的な統治の対象外となったのだろうか。本書は、トゥジマンによる運動の成功とクロアチア独立という結果から逆算したディアスポラ運動を描くが、同時代のディアスポラたちは元から多様な背景を背負って本国との関係を結んできた。ならば、脱領域的な統治は、国家を通じたナショナルなものに限らず、移民たちの偶然的なつながりに由来した範囲の画定できないものとしての性格を常に有しているはずである。規律権力を論じたフーコーは、晩年に新自由主義の統治性を論じた末に、「自己のテクノロジー」を見出した。新自由主義的な形式をもって本国やナショナルな位相で活用される移民の人びとは、移民たち自身による自己統治技術をもって本国の意図を超える可能性をもつ。そのとき、国家を通じた脱領域的な統治と、移民たちによる運動としての自己統治はいかに相克するのだろうか。(山川)

関連文献
・ロジャース・ブルーベイカー『グローバル化する世界と「帰属の政治」』(佐藤成基、高橋誠一、岩城邦義、吉田公記編訳)明石書店、2016年.
ディアスポラを政治のフィールドとしてとらえるラガッツィの議論は、ネイション・民族を実体ではなくカテゴリーとしてとらえるブルーベイカーの方法論に依拠している。本書は、国境内/越境的な空間で展開されるグローバル化時代の「帰属の政治」に焦点を当て、ナショナル・国民国家の枠組みの機能を中心に、移民・ディアスポラ政治分析の方法を示している。

*1 フランチェスコ・ラガッツィ(Francesco Ragazzi)はライデン大学の准教授。ディアスポラ政治のほか、対過激化(counter radicalization)、反/テロリズムなどに研究関心をおいている。
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