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The Croatian Spring by Ante Batović

4/21/2021

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「クロアチアの春」とは、1970年代初頭に社会主義ユーゴスラヴィア内のクロアチア共和国で起こった政治経済改革への機運、ナショナリズム運動、学生運動を総合した潮流を指す。1960年代初頭の経済制度を中心とする自主管理システムの改革は、連邦内の共和国の位置づけをめぐる分権派/集権派の論争に発展し、ついにはクロアチア共産主義者同盟 (SKH) の改革派や、知識人、学生たちを巻き込んで、政治経済的な改革からクロアチア民族としての地位の要求まで、さまざまな論点を含む運動が展開された。しかし最終的に、1971年12月にSKH改革派の指導者が地位を追われたことを皮切りに弾圧がはじまり、党員からそうでない者まで、多くの人々が公職追放、逮捕されることになった。​
 本書で展開されるアンテ・バトヴィチ の議論 (*1) では、「クロアチアの春」を1956年のハンガリー革命や1968年のチェコ・スロヴァキアの「プラハの春」など、同時代の「東欧」における自由化の動きと並べつつ、1989-90年の体制転換の前段階にあたるものとして捉えている。本書の構成を簡単に整理すると、1-2章で「クロアチアの春」に至った背景としてユーゴ国内外の政治経済情勢が素描され、3-6章で1960年代のユーゴ・クロアチア国内における改革の展開とそれを取り巻く論争が、主に他国の外交官たちの視点から描かれている。7-9章ではそうした論争の延長線上でSKH改革派、知識人、学生たちの運動が渾然となった状況と、それに対するユーゴ当局の反応が描写され、10-11章で運動に対する弾圧の展開と、弾圧に対する国外アクターのリアクションが記述されている。​
バトヴィチの議論の最大の特徴は、アメリカ、イギリスなど他国の外交官や記者による記録を主な一次資料として参照することによって、社会主義ユーゴ・クロアチアにおける政治論争について、当時の外部観察者がいかに認識していたかを明らかにしている点にある。その捉え方は一様ではなく、例えば観察者たちが駐在する都市(ベオグラード、ザグレブ)や日々接する人々の違いに応じて問題の見え方は異なり、外交官たちの認識のズレは本国の外交姿勢に影響を及ぼした。具体的な人のつながりを通じて歴史が再構成されることで、外から見たユーゴ・クロアチアの複雑な鏡像が結ばれている点に、本書の面白さがあると言える。
 また、本書は「クロアチアの春」を社会主義圏での自由化運動の一つとして位置づけながら、国際関係の文脈から論じることで、「プラハの春」とは異なる形で国際社会に受け止められた過程を明らかにする。言い換えれば、「なぜ西側諸国はティトーによるクロアチアでの弾圧を黙認したのか」という問いが、本書の通底音として流れているのである。バトヴィチの評価では、「クロアチアの春」は「プラハの春」と同様、一義的に社会主義体制における自由化・民主化を求める運動であった。にもかかわらず、「東西」の両陣営によって、社会主義ユーゴの安定を脅かす危険なナショナリズム運動という烙印を押された。引用される「西側」外交官の発言やメディアの記事には、自由主義の理念とユーゴの安定のジレンマが明確にあらわれている。欧州の冷戦構造を不安定化させたくないという両陣営の思惑を背景に、弾圧は正当化されることになったのである。
 同時に、バトヴィチは政治指導者の果たす役割を強調する。「クロアチアの春」の流れを作ったのは、SKH内で改革を主導したサヴカ・ダブチェヴィチ=クチャルやミコ・トリパロといった若い世代の政治家であった。ダブチェヴィチ=クチャルらは大衆的な人気を博し、セルビアのマルコ・ニケジチ、ラティンカ・ペロヴィチなど、他共和国の新世代とともに共産主義者同盟での改革論争を主導した。各国の外交官はこうした新世代の指導者たちを、第二次大戦以来の古い指導者とは異なる「リベラル」で「西欧的」な思想に理解がある政治家として高く評価していた。一方でその状況は、国内外の諸勢力の間で常にバランスをとりながら、社会主義ユーゴにおける絶対的な地位を保ってきたティトーの権威を揺るがす可能性につながった。バトヴィチの見立てでは、ティトーは新世代の台頭に対して危機感を覚えており、クロアチアでの大衆運動の盛り上がりを契機として、自らの権威を脅かす可能性のある者を「粛清」したのである。ティトーは自らの指導的地位を守りつつ統一ユーゴの維持に成功したが、代償として新しい世代の指導者たちは政治の場から追われることになった。その結果、ティトー亡き後のユーゴ政治を調整する力量のある政治家があらわれず、1980年代後半のスロボダン・ミロシェヴィチらの台頭を招き、ユーゴの平和的な解体を不可能にしてしまったとバトヴィチは主張するのである。
 上記のような特徴を持つ一方で、バトヴィチの議論には、通説的な冷戦史観、あるいは「東欧の民主化」観を越えられていないという限界があるように思われる。図式的に表現すれば、冷戦を自由主義と社会主義陣営の対立に還元した上で、「東欧」諸国の経験を1950-70年代の挫折から80-90年代の革命へと続く自由主義の物語として解釈し、その結実として冷戦後の民主化および国民国家としての独立と、ヨーロッパ統合への参加を位置づける歴史観が、本書には通底している。その歴史観は、「クロアチアの春」と1990年代の転換を無批判につなげてしまうだけでなく、独立後のクロアチア・ナショナリズムの文脈への省察を欠く見方にもなりかねない。バトヴィチの議論は当時の外交官の記録を用いることで、「クロアチア対セルビア」という、90年代以降に独立と紛争を通じて先鋭化した対立構図を避ける回路を得ている。にもかかわらず、著者の史料の選択と読み解きは、90年代以降の「後知恵」にもとづいた解釈を脱していないように思われる。この問題は、本書の議論の核心にあるはずの「リベラリズム」や「ナショナリズム」、「デモクラシー」といった概念の定義が必ずしも明確ではなく、上記のような図式を追認する機能しか果たしていないという点にもあらわれている。
 いずれにせよ、本書の強みは当時の外部観察者たちが残した記録から地に足の着いた同時代の認識を明らかにしている点にある。その意味では、グローバルな冷戦構造がいかに人々によって内面化され、ローカルな場所で現出していたかを明らかにしている点にこそ本書の意義があると言えよう。(山川)

関連文献
・益田肇『人びとのなかの冷戦世界:想像がグローバルな現実となるとき』岩波書店、2021年.
 近年、「グローバルな冷戦」を「ローカルな現実」から捉えなおそうとするアプローチは、冷戦史研究の一つの潮流をなしている。本書は朝鮮戦争が勃発する1950年代初頭のアメリカ社会と中国社会を主な対象としながら、人々が冷戦の論理を内面化し、実体化させていった過程を分析したものである。一部の政治指導者ではなく、ローカルな「普通の人びと」こそが冷戦を作り上げたとする本書の議論は、同時代の多種多様な資料に裏打ちされており、「想像された冷戦」が現実になる様子をありありと浮かび上がらせている。

*1 アンテ・バトヴィチ(Ante Batović)は、現在カナダのグローバル民間警備会社GardaWorldにコンサルタントとして所属している。本書は著者が2010年にザダル大学に提出した博士論文を元に執筆された。
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