Croatian Radical Separatism and Diaspora Terrorism During the Cold War by Mate Nikola Tokić3/22/2021
しかしその結果、戦間期・戦時中にウスタシャとして活動していた世代(エミグレ世代)よりも、新しく西側へ移民した若い世代(セミエミグレ世代)のほうが積極的に暴力を用いるようになる。元ウスタシャたちの組織は、クロアチア系移民のネットワークを利用して、1950年代後半から60年代半ばにかけて主に経済的理由から西側へ不法に移民した若い世代をクロアチア分離主義運動へ引き込んだ。しかしその結果、戦間期・戦時中にウスタシャとして活動していた世代(エミグレ世代)よりも、新しく西側へ移民した若い世代(セミエミグレ世代)のほうが積極的に暴力を用いるようになる。
第3章・4章の主題は、セミエミグレ世代のイデオロギーとテロ事件である。セミエミグレ世代がテロに及んだ背景には、国際政治の認識におけるエミグレ世代との違いがあった。セミエミグレ世代は、今日の国際政治において東西両陣営の大国にはクロアチア独立のために力を割く動機がないと考えていた。そのためセミエミグレ世代は、他者に頼るのではなくクロアチア人が自ら革命闘争を起こす必要があると訴えた。また、イデオロギー的にはファシズムに親和的でありつつも、その他のイデオロギーに対しても柔軟だったということも、セミエミグレ世代の特色であった。 第5章・6章では、急進的なクロアチア分離主義者によるテロの無差別化と、各国当局の対応によってテロ活動が衰微する過程が明らかにされる。1970年前後から、クロアチア分離主義者によるテロが激化するとともに、テロにおける標的も無差別化した。このことによって自国民も直接的にテロの被害を受けるようになると、各国はテロ法制の改革などによって急進的なクロアチア分離主義への対処を図った。1980年までに、世界各地の急進的なクロアチア分離主義者によるテロはいずれも各国当局の対策強化によって実行困難となり、鎮静化した。 終章で筆者は、1960年代から70年代にかけてのテロリズムと、1980年代以降のクロアチア系移民の間でのクロアチア・ナショナリズムの間には断絶があったと論じる。そのうえで筆者は、人の移動とテロの関係を固定的なものとしてとらえるのではなく、分析枠組みを常に再構成するべきだと主張して記述を締めくくる。 本書はヨーロッパから南北アメリカ、オセアニアまで、まさにグローバルな規模で活動していたクロアチア分離主義者のテロとその背後にあった彼らの思想を包括的に描いたすぐれた実証研究である。著者はセルビアやクロアチアはもちろんのこと、アメリカやカナダ、ドイツ、オーストラリア、ニュージーランドなど、世界各地の公文書館の一次史料を豊富に用いている。 その一方で、本書の主眼はあくまでも、分離主義者の組織形成過程やテロ活動の隆盛と衰退の実証研究にある。そのためこの本は、前後の時代における類似した(とみなされがちな)政治勢力と彼らがどのように異なるのかという問題に踏み込んでいない。 また、テロの背景にある1960〜70年代の国際的な同時代性についてもさらなる議論が可能だろう。著者自身も同時代にテロ活動を行っていた組織として、北アイルランドやパレスチナのテロ組織、西ヨーロッパ諸国の極左組織に言及しているが、これらの組織とクロアチア分離主義者のテロ活動はどのように比較可能だろうか。また、クロアチア分離主義者のテロ活動は、反植民地主義を掲げるテロが隆盛した時期とも重なる。よく知られているように、社会主義期のユーゴスラヴィアは非同盟運動を主導し、アジア・アフリカの旧植民地国家と深い関係を築いていた。急進的なクロアチア分離主義者たちは、ユーゴスラヴィアの非同盟運動へのコミットや反植民地運動との関係をどのように受け止めていたのだろうか。 最後に、本書のアプローチについても言及したい。テロ行為を分析対象とする研究のアプローチには、テロ行為をイデオロギーの反映ととらえる見方と、テロ実行者たちが初めからイデオロギーのためにテロを行っていたということを前提とするのではなく、暴力行為自体の連鎖に注目するという「下から」の視点という2種類が考えられる。本書のアプローチはどちらかといえば第2のアプローチに近いといえるが、クロアチア系移民が行うテロの「非合理性」よりも「合理性」に注目しているという点において異なっている。著者は冷戦期に分析時期を定め、その期間に分離主義を掲げた「亡命者」が、置かれた環境下でどのように戦略的に一貫した行動の選択を続け、どのようにその帰結としてテロ活動に携わったのかを歴史的に跡付けようとしている。この視点には旧ユーゴスラヴィア特有の「人脈政治」的特徴を強調してオリエンタリズムに陥りかねないという危険性もあるものの、明確な組織形態を持たなかった戦後の「ウスタシャ運動」 (*3) について考察するうえでは有効な観点だといえるだろう。(宇野) 関連文献 ・細田晴子『カストロとフランコ——冷戦期外交の舞台裏』ちくま新書、2016年。 冷戦期におけるスペインとキューバの外交史を両国のリーダーに注目しつつ描いている。一見急進的なクロアチア分離主義者のテロとは無関係に思えるテーマだが、キューバ出身の軍人アルベルト・バヨが2つのテーマを繋いでいる。スペインで軍人としてのキャリアを積んだバヨは、スペイン内戦で共和国側に立って戦ったのち、メキシコで若きカストロやゲバラらにゲリラ戦の訓練を施した。トキッチの2018年の論文によれば、セミエミグレ世代のテロリストのひとりは、バヨの著作を下敷きにしてゲリラ戦の指南書を著していた。細田晴子がこの本で指摘するキューバとスペインの人的なつながりは、急進的なクロアチア分離主義者のテロにも影響を与えていたといえよう。 ・キース・ロウ(猪狩弘美・望龍彦訳)『蛮行のヨーロッパ——第二次世界大戦直後の暴力』白水社、2019年。 トキッチが著書で指摘しているように、1945年5月に戦争捕虜がパルチザンに引き渡され、多くの人が処刑された「ブライブルクの虐殺」は、冷戦期のクロアチア分離主義者にとっても重要な意味を持った。一方で第二次世界大戦直後は、ユダヤ人に対するポグロムやドイツ人の「追放」、性暴力、クーデタや内戦など、さまざまな形で暴力の嵐がヨーロッパ全土に吹き荒れた時代でもあった。キース・ロウはこの本で、第二次世界大戦終結直後のヨーロッパの混乱と暴力を、バルト諸国からイタリアまで視野に入れて描いている。 ・本文中で言及した文献 Tokić, Mate Nikola. “Avengers of Bleiburg: Émigré Politics, Discourses of Victimhood and Radical Separatism during the Cold War.” Politička misao 55, br. 2 (2018): 71-88. https://doi.org/10.20901/pm.55.2.04 小林良樹『テロリズムとは何か——〈恐怖〉を読み解くリテラシー』慶應義塾大学出版会、2020年。 *1 Mate Nikola Tokićは、現在ウィーンにある中央ヨーロッパ大学の客員教授を務めている。主な研究テーマは、クロアチア系移民の政治暴力や、社会主義期のユーゴスラヴィアにおける第二次世界大戦の記憶と政権の正統性である。 *2 「ウスタシャ」は、戦間期から活動していた急進的なクロアチア民族主義組織である。1941年4月にユーゴスラヴィア王国が枢軸国によって分割占領されると、ウスタシャはドイツやイタリアの後押しを受け、傀儡国家であるクロアチア独立国の政権を担った。ウスタシャのイデオロギーはファシズム・ナチズムに強く影響されており、クロアチア独立国では多数のセルビア人・ユダヤ人・ロマなどを組織的に殺害した。 *3 第二次世界大戦後に国外へ亡命した元ウスタシャらは、「クロアチア国家創造党(Hrvatska državotvorna stranka)」などの組織を結成し政治活動を続けた。しかし戦後のウスタシャ運動においては中心人物どうしの対立が目立ち、多数の団体が乱立する状態に陥った。詳しくは本書の第1章を参照。
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